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2020/08/09 00:47:39

20200808

どっから書こうとしてたか。なにを書こうとしてたか。





富野監督が『戦争は女の顔をしていない』の帯に寄せた“お世辞”の真意とは?【鼎談】小梅けいと×速水螺旋人×富野由悠季

「この原作をマンガ化しようと考えた作家がいるとは想像しなかった。瞠目する。原作者の慧眼をもって、酷寒のロシア戦線での女性の洗濯兵と狙撃兵の異形をあぶり出した辣腕には敬意を表したい。
それをマンガ化した作者の蛮勇にも脱帽する。男性の政治家と経済人たちの必読の書である。女たちは美しくも切なく強靭であったのは事実なのだ。」
――本作の単行本第1巻が発売された際、『機動戦士ガンダム』『Gのレコンギスタ』を手掛ける富野由悠季監督が熱い檄文を寄せた。今回は著者の小梅けいとと監修の速水螺旋人をまじえて、本書にかける思いを語り合っていただいた。

「蛮勇」という言葉に込められた想い
──『戦争は女の顔をしていない』の単行本では、富野由悠季監督から熱い帯文をいただいています。まずは小梅けいとさんと速水螺旋人さんは、この帯文を読んで、どんな印象を抱かれましたか?

小梅 僕にとって、富野監督は雲の上のような方なので、これだけの励ましの言葉をいただけたことがありがたくて震えておりました。僕としては、この文章は激励の言葉として受け取っております。

速水 ありがたい言葉をいただき、光栄でした。「蛮勇」という言葉は、作品をお手伝いしている僕の立場からも、ふさわしい言葉だなと思っていました。富野監督からご覧になっても「蛮勇」に見えるのだなと、あらためて実感しました。

──富野監督は、この帯文にどのような思いを込められたのでしょう。

富野 この本は公に出版されるものですから、お世辞で書きました。この言葉の意味には、すべて裏があります。正面切って、褒められたと思うな!

一同 はい。

富野 この帯に書いていることは、実を言うと、叱っているんです。この原作の内容をマンガ化するのは、正気の沙汰とは思えない。昨日も原作にあたってみましたが、マンガになんてなるわけがないと思っていました。
そういう意味では、本当に「蛮勇」です。どうしてこの原作を、マンガにしようと思ったのか。むしろ教えてほしい。そこが僕のような年代にとっては本当に謎なのです。
この『戦争は女の顔をしていない』という書籍は、日本軍の記録しか知らなかったわれわれのような世代にとっては、衝撃的な本でした。
第二次大戦のソビエト関連の戦記物は、日本ではほとんど知られていないし、僕自身もその状況を知ったのは、この本が初めてでした。
しかも、この本は女性の目線で描かれていて、いわゆる日本の兵士を見送った(国防)婦人会のような目線ではないんです。
ソ連の婦人たちは、第二次大戦で戦場に出ていた。戦場で洗濯兵となったり、狙撃手までやっていたことが書かれています。
ここに戦争を考えるうえで、一番大事なものが記されているんです。それは戦争の体感です。日本は戦争が終わってたかだか75年ですが、すでにコテンパンにやられたことをけろっと忘れてしまっている。
いまでは自衛隊を軍隊だと言い、戦争はカッコいいものだと思っている人がいるんです。彼らには戦争の体感がありません。戦争は憧れてはいけないんです。
だから、僕はミリタリーおたくが大嫌いです! 戦車が出てくるアニメを見て、戦車を動かせると思うな、ということです。でも、自衛隊でそういうことが実際に行われつつある。それを速水さんはご存知ですか?

(長いので全文はソース)
https://ddnavi.com/interview/643316/a/


富野「今回も東京オリンピックのために国立競技場があっという間に壊されてしまいましたが、『オリンピックだから』
ということで大した議論もなく、全部ゴーサインが出る風潮は半世紀上立っても変わりません。
満州事変やノモンハン事件を「戦争」と言わずに「事変」「事件」と言ってごまかした 大日本帝国の精神構造と
ほとんど同じじゃないでしょうか 。もはやタチの悪いカルトですよね 。
国家の推進しているものに対して、ちょっとおかしいということがあっても異議申し立てできない空気は危険です。」


富野「風立ちぬ、ぜひご覧になってください。本当に見事な映画です。宮崎さんが描いたのはこういうことです。技術者というのは夢を持つ。美しいものが空を飛ぶ姿は素敵だ。でも、航空技術に関わったおかげで、軍事でしか自分の才能を昇華できなかった。そんな絶望の物語なんです。」
「映画にはそのカプローニと夢のなかで出会うシーンがあって、「家族みんなを連れて、好きなところに旅に出かけられたらいいね。君もそんな飛行機を作りなさい」と言われる。それで彼は「頑張ります!僕も美しい飛行機を作ります!」と答えるんだけど、最後にもう一度カプローニに会う。堀越の“飛行機を作る”という夢は確かに実現した。「でも、僕が作ったあれは、一機も戻ってきませんでした」と彼は声を振り絞るんです。その瞬間、頭上をバーっとゼロ戦の大群が飛んでいって終わる……。(感極まって)もう本当に僕は、この物語を話しているだけで駄目なんですよ。悲しくて。」







物語をつくるという事はこれほどしんどい。色々思いかえしてたし戦争についてもがらにもなく考えてた。はだゲンの中沢啓治さん。もし原爆がなければ「げんこつ元太」みたいな明るい作品をもっと描けていたのではないか。それは悲しい。富野監督は「風立ちぬ」を絶賛してるが、カプローニと夢の中で会うシーン。覚えてるよ。しかし悲しい悲劇を興奮して語る事はない。富野監督のそこまでにはなれない。そこに人間がある。とあんまり言いたくない。それは絶望じゃないか。俺に悲劇の中、人から全く評価されない人生を生きろというのか。悲劇を人間らしい。と言うのもイヤです。古いイヤな時代の感覚だ。


しかし俺は社会がもっと悪くなるかもしれない。浮世でフィーバーしてるのも社会をみつめていなければいけない。自分の生活ファーストとはそういう事だ。もっと社会は悪くなるかもしれない。そこで自分として生活していけているかだ。地獄に自分として立つ。と俺は書いていた。


マドモアゼル・愛先生の存在は俺にとっては当たり前に素晴らしいし、独立心のある若いケシーさんみたいな人もみててありがたい。ロマサガリユニのアンケートも真面目に書いたし。



寝よ。描くんです。やっと描き続けられる動機をみつけた気がする。し、色々やりたい。色々やらずして死ぬワケにはいかない。かもシレナイ。


俺は自分の商売やっていくにあたってまずやる事が政治主張だし、ほんとに元々から不要な人間と扱われてきた。今さらだよ。政治・宗教・好きな球団の話はするな。するんですよ。する時代ですよ。だいたい好きな球団の話がだめなのは?


とにかく画集は描く。色々やる。俺は俺のロールをやるのだ。おやすみ。


要らない人間だからまた普通に「お前は要らないよ」と言われるワケ。二乗でも三乗でもそう。俺も自分をキズつけすぎた。闇堕ちするかもしれん。でも、でもネ。旅してたのかねー。


あえて要らない人間がやり直す意義はあるのか。思いなおすところがあった。やりたいんだ、今。今さら。俺のロール。おやすみなさい。
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