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2020/10/31 01:14:44

20201030  望んでいた人生は得られなかった望んでいた人生 / 政治より俺の仕事 / 反り立つ壁(山田勝己) / 画集・文化・光・明日 / 月パンク太陽

三時半か・・・正確には三時二十九分。一時間あれば書けるかあ。一時間かあ・・・。


あなたは虹野咲(一文字だったっけ)が。虹野さんが体操服で股を広げて前屈柔軟をしてる姿をみた事あるだろうか?紐尾結奈がジャンクパーツを全部買い占めよ!と言ってる姿をみた事あるだろうか?藤崎詩織が一緒に帰って友達に噂されると恥ずかしいし・・・と帰ってしまうシーンをみた事あるだろうか(これはありそうだ)。


ときメモの青春は(プレイ記憶があいまい)実際の学生生活と比べてありそうでそこまでとっぴではない。アマガミもである。アマガミ未プレイ。フィクションではあるし、あんな美少女学園・・・という話しは置いておいて、実際にああいう恋愛が学生時代あっても違和感ない。明るい学生だけにてっせられる学園生活。休日にはデート。そういう、ときメモみたい。という学生恋愛はあるっちゃあるだろう。違和感ナシ。まあ美少女ゲームなんだけどネ。


俺は犬マユゲ。「犬マユ」の石塚裕子みたいに年取っていくと思ってた。なんとなく仕事。なんとなく遊び。子どもの頃ゆるく楽しむ大人といえば石塚裕子だった。あるいはナマサかイヨクか。犬マユゲで集英社って楽しそうだなと思った子どもも多い。


ときメモの青春も犬マユも遠き過去。どうしてもハタチを過ぎればときメモの価値観に齟齬がうまれてくる。犬マユの価値観に齟齬がうまれてくる。



大勢はきっした。大阪都構想も学術会議もジジイババアがやってくれ。三浦瑠麗がアマプラCM降ろされた時から左のゴネゴネがとおるようになってきた。と俺は考察してる。俺は左でも右でもない。後は政治すきのオッサンオバサンが勝手に押しきってくれ。と思う。過去俺もちょっと過激にオリンピック反対キャンペーンを勝手にやった事がある。勝手にやってただけだけど。後悔はあるが、しょうがない。楽しかった。し、だいたいホラ、今だってコロナもあるのに無理矢理オリンピックパラリンピック押しきろうとしている。やり口が戦中の日本で、絶対通用しない。悪いが俺は正解していた。国体とか国難とかいって一億総玉砕・一億総懺悔がこの国のいつものやり口なのだ。謝ってたまるか。俺が何か悪い事したか?カラフルソウル!戦時中の日本だったら俺は非国民として殺されてただろうよ。馬鹿みたい。


酒井若菜の写真集がいい写真集で持ってる。いい写真集だな。と思ってるから持ってるのだけど、肌が若すぎるのだ。顔つきが若すぎる。いい写真集なんだけど。昔と感想が変わってしまった。









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あたってよ。


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間に合うか?


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絵の面白さをとくのだ。それは同じ構図でもこうも違うね。一応引用だからレビューも。以下同文。構図の違いでこうも違うのだ。面白いね。








不幸は幸福になる。と愛先生は言うが。愛先生に言われると丸め込まれてしまう。俺は不幸を無理矢理自分の幸せに転換しようとした。のだが。だって自殺という選択肢しかなくなるからほんとに無理矢理幸福にやっていけるよう転換するしかない。あんな過去もあった。活かす他ない。と思っちまう。俺はもし双極性障害の人間が生きる道を選んだらどうなる?という道を行ってる。とても躁鬱病というものを安易に自分のパーソナルなものとして認めたくない。躁鬱病さえなければ。躁鬱病さえなければ。俺はもっと楽に暮らしていた。しかし愛先生はさらっとすごい事を言う。若き日の神経症がこの人生をつくった。と。俺も純粋なハタチのガキからたった12年。一生分生きた。と言っていいぐらいむちゃくちゃあった。老人になってしまった。
ときメモ的青春やいぬマユ的生活は現実的に齟齬がある。だから人はうつ病になる。アレはないものなのか。どこか遠くへいってしまった。気づけば最後の大統領とかいってるし。もう情勢にも振り回されまくり。アメリカは二分されたりアメリカ合衆国もなくなったり、そういう時代も来るかも。最後の皇帝、最後の特権階級。など。


俺は承知のとおり1000の失敗をして躁鬱病で措置入院して人生終わった。と思った男なのだ。俺は俺自身の光をともそうとし続けた態度は素晴らしかった。よく生きたよ。原発とか政治問題にむちゃくちゃにされた。可哀想なくらいいじめられたし自分をいじめた。俺は俺の光を灯そう。酒井若菜の話。写真集。昔はよい写真集だとしか思ってなかったが今や若すぎるのだ。人間は肌や眼にその人の人生が宿るね。俺はやっぱりだから人間は若干ふけてた方が素晴らしいよ。のるかそるか。俺はまだギリ若い。全てやるか。


俺はドリカムが嫌いだがパンクは分かるのだ。パンクシーンの役割りも変わった。時代の諦感(どうにもならない社会への不満)からのパンク・グランジからリアリズムへ。リアルへ。それは昔好きだったブルーハーツの「星をください」あったが、大体パンクというのは寂しい反抗になって、小さな遊びで、ブルーハーツ世代やバンドブームはどこか寂しさをもっていたが(月性)・・・眠い。続く。俺はたしかにやっと画集を描くし、文化。色々やる。おやすみなさい
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