20210416 罪と罰 / 島田紳助とマリエ
TVもウソ。はっきしいって意味ナシ。島田紳助は別にどうでもいいが。島田紳助が上にいた場合だれも文句をいえない体制ができていた。それでいてしらばっくれる大人。そういうものをずっとながしていた。馬鹿らしさ。おそろしい。そして原発。汚染水。社会は基地外ではないか。基地外なのだ。俺なんかより60にもなって言葉の責任とれない大人のほうが恥ずかしい。しんじられない。ちゃんと罪に対して自主的に切腹する社会のほうがいかほどまともなものか。そんな大人たちが社会をうごかしていて、マトモぶっていた。これは恥ずかしい。ほんとにはずかしい。いびり殺されてきた人たちのおもいは・・・ とてもじゃないけどはかりしれない。
俺なんかよりよっぽど・・・あなたなんかよりよっぽど・・・大罪人がいる。わらってくらしている。馬鹿らしい。今までいかに馬鹿らしかったか。
マドモアゼル・愛先生やヒカキン・セイキンの存在が光る。ほんとうにすごい。俺はもう自分をせめるのをやめる。俺は十分だ。もう十分いじめぬかれた。自分をいじめてもしょうがない。島田紳助とかビートたけしとかさんまは、今の時代がうまれる為のウンコ・肥やしだったにすぎない。その自覚がないと。自分の罪と罰ぐらい自分でめんどうみないと生きた心地はしないだろう
不正選挙だし。コロナだし。コロナの情報だってふつうに伝えられないし。最低だよ。もう月文明はおわりだよ。いかに自分が・・・いじめぬかれて殺されたひとたちの怨嗟があるか・・・音叉で解決したい。自分のエンサーで。アンサーで
まともじゃないといわれすぎたのだ。これでは社会でやっていけるワケないじゃないか。そうやって殺されてきた。 ほんとうに自殺させられたひと・殺されてきたひとたち。犠牲になってきたひとたちの怨嗟は・・・
罪と罰。かならず罪と罰の意識は顕在化する。それで殺されるかどうか殺すか殺されるかなったら、それはそれでさっぱりして、いいじゃないか。なにが常識だ。言葉の上の表現にすぎない。罪と罰。かならず罪と罰の意識は顕在化する。
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